10月の日記その1

10月4日

 昨日の夜は腹痛で寝られず、結局明け方までぼーっとしていました。早朝、あきらめて起き出してサイトの更新なぞやってみたり。
 7月20日の大江戸コスプレ博の写真をアップしました。世の中には撮影したその日にアップしている人も少なくないと言うのになんとのんきな。
 吸血姫美夕をやったのですが、ポーズも表情もダメダメだと、アップ作業中にリベンジを誓いました。TV版を全部見たことだし、新しくTV版の衣装を作ろうかなとか、DVDを導入したのでOAV版の衣装フルコンプとか、考えるだけならタダです。消化できない予定がテトリスのように貯まっていきます…。

 昨晩は、某所チャットで装束の「本物」とはなんぞや、という議論になりました。
 もちろん、素材、技術ともその当時のものを復元できれば一番いいのでしょうが、コストなどを考えるととてもそれは難しいことです。もちろん、本来の形を伝えていって欲しいなとは思いますが、その技術を伝えるためにはどれだけの努力が必要なことか。なくなってしまった技術だって少なくないと思います。ですから私は、すっかり復元したものだけが本物であとは偽物、と言う考え方はあまり同調できません。
 だって、服飾それ自体が文化ですし、文化は時代によって変わっていくものなのですから。
 時代の中から、ある点を拾って、その時代式、とすることは出来るでしょうけれど、それ一つが正しいわけではないのです。
 また、お雛様のようなものは、それ自体がその時代の文化であり、お雛様は考証ばっちりの有職雛だけが正しい、とも思ってはいません。

 そういうわけで、私は、職人さんが真面目に作ったものはそれだけで「本物」だと思うのです。

10月7日

 ちょっとだけショックなことがありました。いやがらせされたとか、トラブルを起こしたとか、人に迷惑を掛けたとか、そういうことではなかったかなとは思うし(考えようによっては迷惑は少しかけていたかも)、自分で勝手にがっかりしていただけなのですが、帰りに電車に乗ってぼーっとしていました。あげく考えつかれて居眠りしてたり。意外にデリケートな部分があったんだなあと自分でもびっくり。電車を降りるとき、suicaが反応してくれなくて有人の改札を通ったのですが、滞在時間の長さをいぶかしがられてみたり。でも、普段より長時間乗ってた事は確かだけれど、あのタイムスタンプはおかしかったなぁ。実際に乗った時間より1時間くらい前でした。何故。

 とりあえず、前向きにがんばろう、と思いました。自分の未熟さが原因なんだし。

10月10日

 夕方から試合用の荷物を担いでNokyoさんちへ。
 荷物が多くて移動が大変でした。これでも銃はないというのに。工具箱と着替えだけでこんなにも。もう少し荷造り上手くならないとなと思いました。台湾の選手なんか、銃を別にすれば、キャリーカート一つで国際試合に来るもんな…。
 銃の仕上げと最終確認などをやっていたら結局朝5時になってしまって、30分くらいぼーっと休憩していました。

10月11日

(註:ここから三日間の日記はこの競技を知っている人でないと意味不明ではないかと思われます。)
 30分休憩して、5:30頃から車の中を片づけて、エンジンオイルを交換して、タイヤの空気圧測って。プラグの交換は時間切れでした。私はエンジンオイルを抜く間、機械が落ちないように押さえてただけだったんですが。
 キャリアーの上に防水布を敷いて荷物を載せて包んでロープを掛けて、いざ出発。
 途中でまっちゃんをピックアップします。
 まっちゃんは、比較的小型の銃ケースを持っており。Nokyoさんと私は、「よく入ったねぇ」「スピリット1000(銃の名前)だったらこのケースに入るんですね。」と言っていました(伏線) 弓はケースに入らなかったらしく、別に持ってましたが、まっちゃんいわく、「前回の試合では弓を忘れてたんですよ。」おいおい。
 まっちゃんが荷物を持ってくる間にプラグを交換して、荷物を包んでロープをかけ直していざ出発。

 都心を抜けるまではスムーズでしたが、川越のところで事故渋滞35km、抜けるのに3時間、という表示で下道を走った方が早いんじゃないか、と高速を降りればそちらも渋滞。同じようなことを考えた人は多かったらしいです。他県ナンバーばかりで一般道が渋滞していました。降りる前にハイウェイラジオを聴こうとしてラジオをつけたら、「積み荷のロープが振動でゆるむことがありますのでサービスエリアやパーキングエリアで時々確認しましょう。」と、いきなりお説教されてしまいました。
 結局、鶴ヶ島あたりから再び高速に乗ったのかな? でも、その後も事故渋滞、事故渋滞、またまた事故渋滞。夜勤明けのまっちゃん、作業してて寝てないNokyoさんと私。ねーむーいー。私は荷物に寄っかかって居眠りかましました。Nokyoさんごめんなさい。3人乗ってるのに、車運転できるのは一人なのだ…。

 上里SAでたかや号と合流。たかやさんも八王子辺りで渋滞に巻き込まれたそうですが、それでもNokyo号より1時間早かったのでした。
 お昼ご飯を食べてから、荷物をたかや号に移し、まっちゃんもたかや号に移動。まっちゃんを含めると100kgくらい乗せてる重さが変わってました。

 再び渋滞に突っ込み、会場に着いたのは午後4時を過ぎていました。予定では、午後の1時には到着し、射場設営を手伝い、試射をし、と思っていたのにー!
 とにかく、試射はしなければならないので(なにせ、銃を作り直してから一度も撃ってない)必死で組み立てて、撃つだけ撃ちました。暗くなって的が見えづらくなるので、だんだんリタイヤする人が出てもまだ撃ってました。見ている人に「よく的が見えますね」とあきれられました。ほほ、私の目はノクトビジョンついてるから(そのかわり、光量が多いところには弱い)。
 最後の最後まで粘って、何とかサイトを合わせて、終了。
 ところで、銃を組み立ててから初めて、キャリーレールとレール面の水平を計ったのですが、ぴったり一緒でした。素晴らしい精度だ。仮組段階では一度も計っていなかったのに。作ったNokyoさんも驚いていた(おいおい)。おかげでさくっとフロントサイトの水準器を合わせることが出来ました。

 ここで、私ではないのですが、もうひとつトラブルがありました。なんと、まっちゃんは銃を忘れてた!銃ケースを開けてみたら入っていたのは学生時代に使っていたスタンダードマッチ(銃の名前)だったという。まあ、一式全部入っていたのでなんとか撃つことは出来たのですが。いやはや。

 宿舎では、1年ぶりのBOSSと、はじめましてのR君がいました。
 二人して、相乗効果で興奮してしまい、夜はなかなか眠れずに運動会を繰り広げていたらしいです。
 その夜は、私は徹夜の疲れでぐっすり眠っていたので全然気づきませんでした。

 弓友会の新しいユニフォームが出来て、試着したりしてました。トレーナーで、襟が立ち襟でそこに赤い紐がワンポイントでついているのですが、Nokyoさん、たかやさんが「この紐を弦に結んでおいて撃ったら大変なことになるね。落ちるかな?」「いや、落ちるじゃすまなくて頸椎脱臼するんじゃないか?」などと話してました。(伏線)

 私の銃が出来上がってのお披露目だったので、銃オタク達の厳しい批判にさらされましたが、まあ悪い評価ではなかったです。「アジャスタブルアイピースが欲しいところだねぇ」と言った人がいたら、「あ、持ってる」とNokyoさんが出してくれました。アジャスタブルアイピース、偏光ガラスのフィルターつき。言ってみるもんだ…。私が言ったわけではないですが。次の日の試合で早速使ってみましたが、いい感じでした。おお、3点照準ってこうやるのね、って感じで(おいおい)。銃のセッテイング上、リアサイトのピープが近すぎてリアの円が意味を為していなかったのです。
 弓友会は、前日作業チーム(試合の前日に、弦のサービングを巻いたり、機関部開けたり、他色々作業している事が多い)なのですが、今回は私の目隠し板(アイピースのところにつけて、射撃に使わない側の目の視界を遮って、射撃に使う側の目で見るのを見やすくする)をアイピースに合わせてちょっと削っただけでした。「やっとうちらしくなった」などと言ってたり。

10月12日

 全日本選手権大会1日目。
 今年は、一日目に個人戦(30mと20mの両方の距離)と、団体戦のうちの30mをやり、二日目は団体戦20mという変則的な試合進行でした。
 BOSSは、子守に来てくれる予定の人がなかなか来られなくて、本部預かりになりました。背中に背負う形式のデビルウィングつき散歩紐を着けた上に、適当な紐を足して動ける範囲を広くして、それを本部テントにくくりつけておいたという。なんだかテントを引きずって走り出しそうな勢いでしたが、さすがにそれはなく。お父さんお母さんは出来る限り素早く撃ってはあやしにダッシュしてました。シューテインググラス(弾薬の残りなどから目を護るためのものではなく、照準した状態でレンズをまっすぐ見られるように出来ている、片方しかレンズがない精密射撃用のタイプ)を掛けたまま走り回っていた。それで試合が1日半。体力勝負ですな。

 天候がちょっと不安なこともあり、開会式は省略して(…)いきなり試合開始。
 試射一発目、撃った瞬間に勢いよく首が擦られました。着弾は6時方向的紙の真下。
 そう、襟の紐が、弦に引っかかって、首が絞められてしまったのです。まあ、片側が引っかかっただけだったので、落ちも頸椎脱臼もせず、首が擦られた程度ですみました。
 それにしても的紙の外。試射でよかった、と思いました。試射は、本射の前に照準器の調整をするために撃つ射撃なので、点数は関係ないのです。

 そして何シリーズかはおおむね普通に撃ち続け、終わり頃のシリーズで撃った瞬間、弦で左手の指をはじきました。着弾は6時方向的紙真下。ぎゃひー。左手の中指を見てみると、爪が割れて、ちぎれかけて、ちょっと剥がれていました。弦の走るレール面よりも指が出ていて、指をはじく可能性はあるなと思ってはいたので、爪は出来るだけ短く切っていたので、この程度ですみましたが、爪が長かったら根本から生爪剥がれていたかも…。(追記:二日するかしないかの間に傷はくっつき、爪の形がいびつになった程度ですんでます。)

 まあ、個人戦の30mを打ち終わった時点でアクシデントは出し尽くした感じで、20mと団体戦の30mはまあまあ調子よく撃てました。団体の30mはあと2点で自己ベストと同点でしたし。

 お天気は結局崩れず、途中晴れたりして、結構暑かったのでした。風はすごかったですが。射座ラインと的寄りで逆向きに風が吹いていたり。射撃の時はコンタクトレンズを使っているんですが、風を待っている間に目が乾いてしまって上手くファーストチャンスで撃てなかったりしました。シューティンググラスを導入すべきか…。シューティンググラス、歩きづらそうと思っていたのですが、事務局長夫妻、かけたままで子供あやしに射座と本部テントを行ったり来たり、走り回っていたし。

 夜は弓友会総会。色々決めたりすること(多大に脱線しつつ)話し合ったり、お互いの銃のセッティングを批評してみたり。私の銃もダメ出しをするところがあったので、今度までに直さねば。チークピースが厚すぎてました。でも、この木を削るのは固すぎて嫌なので、適当な木を切って作り直そうかと。

 そして。2年ぶりにアーチェリーパンツをはいたのですが…。トレーナーの裾を突っ込んで履けたスラックスがぴったりサイズであせりました。ふ、太った…。2年前と5kgは体重が違うからな…。しかし、ある程度ゆとりのあるはずの普通の服で太ったと分かるというのはかなり怖かったです。

10月13日

 団体戦20m。
 雨でした。風も吹きました。射撃が久々なので風が読み切れず、風の止まるタイミングと狙いが合うのが合わず、撃つリズムが滅茶苦茶になりました。
 あまりの雨に、得点記録用紙が濡れてへにゃへにゃに。隣の射座の人とペアを組んで採点を行うのですが、今回は、私は記録用紙を極力ぬらさずに持ち、また記入する係りになってしまいました。スコアラー状態。矢はペアを組んでいた人が抜いてくれました。体力は使わないですんだからラッキーだったのか? もしかしたら、前日矢がなかなか抜けなくて長時間、的(を貼った畳)にへばりついていた私を見るに見かねたというか、いらついていたという可能性もあるけれど。雨が降って畳が濡れると、矢が余計に抜きにくくなるのです。

 途中で、フロントサイトに水滴がついてしまって、的が見えなくなることが数回。でも、時間がなくてそのまま無理矢理狙って撃ってました。もう、「心の目で見ろ!」状態。フロントサイトのリングを換えようと決意しました。今は、轡十字になった形のちょっと特殊なのを使っているのですが、普段はドット感覚で狙えて便利なこのサイト、水がつくと細かい水滴が取れにくくて始末が悪い。IRルールでフロントサイトのリングを取り替えるのがおっくうで(サイトやパームレストの調整だけでも大変だというのにリングまで換えられるか、と言うのが本音)、ドットサイトが欲しかったのですが、プラスティックディスクのドットサイトは雨が降って水滴がつくとどこに点があるのか分からなくなると使っている人が言っていたので、なるほどなと思って使っていなかったのです。

 リアサイトに水が入って視界が真っ暗になり「心の目でも見えません」状態になった人もいました。というか、その状態になったら、銃器故障で手を挙げればいいのに(手を挙げて故障したことを訴えれば、基本的に修理時間が与えられます)、と言った人に、考えてみればその通りです、と。そこまで考える余裕もなかったらしい。

 試合前に、メンバー全員分のお茶を買っておいたのですが、開始前から天気が崩れ、配る余裕もなく、それどころかそんなものの存在を忘れ去るような状態でした。私は試合中は味がついたものが飲めない(気が散ってしまう)ので、ジュースやお茶ではなく、ミネラルウォーター(出来るだけ軟水)を飲んでいます。ヴォルヴィックが気に入っているので精神的・時間的に余裕があれば事前に買って試合会場に向かうのですが、今回はその余裕がなくて、自販機にあったクリスタルガイザーを2本(試合一日一本当て)買っておきました。でも、二日目は封を切る余裕すらありませんでした。のどの渇きを覚える余裕はなかったし!ていうか、全身ずぶぬれで水はもういいよ、って状態だったし!

 試合後は、雨の中撤収作業。私たちは銃だけはとりあえず地下に入れてから作業してましたが、作業の中心になっていた学生さん達は銃をそのままで片づけていて、あまりの状況に、途中で私が本部テントの中に入れてました。
 もっとみんなで協力して作業したらいいのにね。室内での作業では私は役立たずなんでずっとグラウンドで作業していたら、トレーナーは言うまでもなく、スラックスもインナーもびしょびしょ。撤収が終わったら速攻で全身乾いた服に着替えました。さ、寒かった…。髪は洗い髪のよう、手は水でふやけた上に血色がすっかり悪くなっていました。

 試合結果は、個人戦はNokyoさんがM差で7位、たかやさんが最多スポット賞、団体戦は弓友会Aチームが銀メダル、Bチームは何位だったっけ…?4位か5位でした。
 終わってしまえば、天候不順の試合も面白かったなと思えますね。

10月18日

 数日前からIRCのチャットルームのタイトルが、「10月18日カラオケオフ。参加者は13:00西武新宿駅前のマック集合」となっていたのでした。
 OFF会はいいけれど、カラオケは最近歌える歌がないし、と思っていたのですが、参加者が非常に少なくなりそう、というかタイマンオフになりそう、ということで、行くことにしました。

 起きてから、ぼけーっとシャワーを浴びたりしていたので、到着した時点ですでに黒ちゃんとねこざきさんはお昼を食べ終わっていました。二人が窓際にいたので、下から手を振ってみたり。その時、ティッシュ配りのお兄さんが目の前にティッシュを差し出していたらしい。全然気づかずにそのままマックに入っていました。合流してからマイペースっぷりにあきれられました。「全然気づいていないんだもーん」って。

 月見バーガーを食べた後、零ちゃんが参加することになって、待っている間、暇つぶしに丸井ワンに行こう、と言うことになりました。雨が降ってきたのでねこざきさんと黒ちゃんは傘を買っていましたが、私はコンビニ傘を買うのがちょっと悔しかったので(家にたくさんあるし)、黒ちゃんに入れてもらっていました。
 丸井ワンでうろうろして、黒ちゃんがボンデージのパンツを買ったところで零ちゃんから電話が入って丸井ワンに来てもらおうとしたけれど、よく聞こえなくて、どこと言っているか、場所が分からないとのことだったので、いくつかランドマークを上げた後、東口の映画の看板の前、となりました。零ちゃんの電話、調子が悪くて聞き取りづらく、「アルタ」が「ハルク」に聞こえたらしい。
 この辺りで可南さんも合流。

 カラオケに入り、今回の主催者ねこざきさんは零ちゃんにサポートしてもらいつつBUMP OF CHICKEN、黒ちゃんはマシンガンズ、ピエロetc、零ちゃんはレッチリ他洋楽系、可南さんはサイコルほか。私は歌える曲がなくて懐かしの曲ばかり歌ってました。
 ヴィジュアル系バンド、前はあんまり興味がなかったのですが、ライブで手振りとか踊ったりするのが楽しそうに思えてきています。と言っていたら、黒ちゃんからDASEINのビデオを貸してもらいました。

 カラオケの後、Web用素材を買いたいねこざきさんがビックカメラだかさくらやに(零ちゃん付き)、寒いので上着を買いたい黒ちゃんは再び丸井ワン(可南さん付き)、”ガンブルーの仕上げ剤”なるものが欲しかった私はハンズへと自由行動30分。でも、30分で東口から新南口のハンズまで行って、買い物すませて、また東口に戻るって無茶苦茶ハードですがな。
 駅の周りがすごく混んでいて、ハンズにたどり着くまでに15分くらいかかり、彫金素材のところでガンブルー仕上げ剤を、カー用品のところで脱脂スプレーを買いました。ガンブルー仕上げ剤ってブルーがうまくつかなかったところを錆から守るコーティングでした。しかも水に濡れたら剥げると。おいおい。ということは、雨の試合の後はお手入れの仕上げにコーティングせにゃならんと言うことですか。
 脱脂スプレーは店内中探し回ったあげく、車用品のところにあるだろうと自分で目星をつけて見つけました。車のチェーンなどをきれいにするためのもので、最初やたら巨大なもの(キンチョールの缶3つ分くらい)を出されてしまい、もっと小さいものがないですかと聞いてもまだ大きい。そんなの工具箱にも銃ケースにも入りません。同じような成分のものがないですか、と聞いて、やっとヘアスプレーくらいの大きさの缶を出してもらいました。

 買い物を済ませた後は、ダッシュで東口に戻り、晩ご飯を食べるところを探します。可南さんが帰る時間が早いので、ぱっと食べられるところにしようとなって、ファーストフードか何か、という意見が出たのですが、お昼がマックだった私は反対してみたり。そうしたら、半分冗談だった「回転寿司」が具体化して、回転寿司屋に向かいました。
 向かっている途中で定食屋さんを見つけて入ってみました。大正解。
 ちょっと混んでいたけれど、メインのおかずに小鉢二つにおつけもの、ご飯みそ汁、フルーツが一口というのが基本であの値段はお徳感たっぷりでした。結構美味しかったし。ご飯はおひつで出てくる麦ご飯でした。麦ご飯だったのでとろろをオプションでつけてみました。
 ただ、4人の席のところに通路にお誕生席を作って無理矢理5人座ったのでテーブルの上が大変なことになってました。おひつは置き場所がなかったし。お誕生席のところは私が座ったのですが、テーブルの足が一枚板で出来ているタイプでテーブルの下に足が入れられなくて、横座り。

 その後可南さんを駅まで送り、バスの切符を買おうとしたらなんと満席でした。特急に乗って帰るとのことだったので、JRの改札に向かうと、小さな改札だったので時刻表がなく、駅員さんを呼びだして聞いてみても手元に時刻表がないとのこと。駅員さんが時刻表持ってないって何事ですか、JR。特急券は改札入ってから買ってもらうことにして、乗車券だけ買って改札に入りました。
 特急券は無事に買えましたが、発車が1時間後くらいでおしゃべりして時間をつぶすことに。
 とりあえずホームに向かうことにしましたが、中央線の特急のホーム、遠い。荷物持って時間がなくて、と言う状況だったらば駅を作った人を恨みたくなるんじゃないかというほど通路が長いのです。そういえば、新南口から中央線特急乗れたっけねぇ、と思いだしてみたり。

 ホームでおしゃべりの途中で零ちゃんタイムアップ、発車30分前くらいに列車は入線しましたが、可南さんは席を確保した後、デッキまで出てきてなおもしゃべる。1時間を軽くつぶせる面子でよかったなぁ、と。
 電車が出た後、黒ちゃんと私は埼京線ホームに向かうのにエスカレーターに乗り、ねこざきさんも一緒にいましたが、エスカレーターに乗った直後、「あ、ここからじゃ総武線乗れないじゃないか!」と上りエスカレーターを駆け下りて行きました。確かに、全部登ってから降りるよりは途中で降りた方が楽でしょうが、あの決断は見事でした。

 また、まったりOFF、やりたいですね。

10月24日

 気づいたら、3サイト合同OFF会、明日じゃないですか!
 ということで、慌てて飛行機のチケットを取りに行きました。
 今日の明日のと言う状況で、もうほとんどチケットが残っていなくて、朝9:30の便になりました。うちから羽田まで2時間はかかるというのに…。でも、それを逃すと、15:30まで空席がなかったので仕方ありません。もう少し計画的に行動しよう…。
 JTBにホテルと交通をセットにしたツアーがあったのでパンフレットをもらってきました。一人から使えるというのは魅力的。往復ぷらっとこだま+東横イン一泊くらいの値段で、飛行機で往復して宿泊できる値段というのはいいなぁ、と。次の源氏の時に使ってみようかなとも思っています。新幹線ひかり正規料金で京都に往復するくらいの値段で、交通と宿泊がついてるんだもの。京都はちょっと空港が遠いですが。
 ともあれ、チケットは取ったので、これで明日飛行機に乗れば無事に大阪に行けるはず。

 待ち合わせ場所が、HEPで、と言われたのですが、HEPってどこよー!と叫んだら、響さんと早めに落ち合ってお茶でも飲みますか、ということになりました。らっき。

  それにしても、サティの中は、阪神がんばれの六甲おろしがガンガン流れ、売場には黄色と黒のセール予告がいっぱい。ここは大阪か、と思ってしまいました。

 夜、スパワールドの割引券を印刷しようとしたらプリンターが調子悪くてうまくいかず。結局プリンタドライバーの再インストールをしました。明日早起きなのに…。

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